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Route 1  



AMBCOAlighty Bike Club OHmaki)は
このイベントに賛同し
法人オフィシャルサポーターとして応援

2013年の初開催、イベントサポートで現地で活動しました。

2014年も法人オフィシャルサポーターとして応援し
一般参加者体験走行の先導員として
大会をサポートしました。

2015年も法人サポーターとして応援し
一般体験走行の先導に協力し大会をサポートします。
JcomのカウントダウンCMにてクラブ員3名登場しました。

2016年も法人サポーターとして応援し
一般体験走行の先導に協力し大会をサポートします。

2017年も法人サポーターとして応援し
一般体験走行の先導に協力し大会をサポートします。

2018年も法人サポーターとして応援し
一般体験走行の先導に協力し大会をサポートします。



HP
AMBCO ( Almighty Bike Club OHmaki )


さいたま市広報誌 Korekara


10周年記念 第20号 2014年11月発行
AMBCOが取材を受け
埼玉県サイクリング協会理事と同じページに登場しました。

さいたま市広報 korekara

Korekara 第20号 10周年記念号 平成26年特集号














2018年1月~


Route 9
 2018年ツーキニストを終える。
通勤距離が9月末で14万キロをやっと越えた年、地球3周半は感動はなかった。
春先に父が無くなりその前後を入れて、ツーキニストを出来ていなかったので、今年はどうかなぁ?
と思っていたが、意外なほど距離を走っていた。8500km強。

毎年10000万キロを走るのだから1500kmが失われているののは14万キロ通過時点が9月末と計算が合う。
あそび距離数を入れると10000kmは硬く、忙しいと言いながら自転車での移動は多いのだと思う。

今年は 「無理しない」を決めて走っていた。
今まで踏ん張って登っていた4号バイパスアンダーパス。
以前は時速30km/h以下に絶対に落とさないぞと頑張っていたが、
今年は時速15km/hとかまで落してジワジワ登っていた。

スッカリ持久力は落ちてしまったが、定年までしぶとく走りたい。
そもそも、自転車でこんなに有名になったのは、ツーキニストが切っ掛けで、
いろいろ考えれば、最後に残るのもツーキニストだ。



ツーキニストには体感的な利点がある。
17年走っていて、ある時から急に道路の空気が良くなった。
東北の震災以後のことである。
あれから急にハイブリッドへとシフトする自動車オーナーが増え、
メーカーもハイブリッドを前面に押し出し、燃費良い車が売れるようになってきた。
燃料入手困難 な時期を1か月も体感したからだろう。
当時リッター20kmは凄く燃費良い車だった流星号。
今でもその性能は衰えることを知らないようだが、ハイブリッドではないノーマル車や低燃費ターボ車が、
現在は流星号の上をゆく。
ハイブリッド車はリッター30kmが謳い文句だ。
そんな車たちが増えれば、道路の空気は良くなるのは当然だし、
渋滞の中を走っていても、空気がキレイとは言わないが、震災前よりも排気ガスの匂いが可なり無くなった。

自動車に関する法改訂もあり、今後ツーキニストには良い環境が揃ってくるだろう。

空気が悪くない経路で季節を感じながら自転車で走るのは、ライフワークの重要なひとつとなっていくと感じる。

 
 2018年12月28日 



 いろいろ乗り越えている。
正直なことを言えば、自転車が大嫌いだ。
いろいろ用事が入ってくるのは良いが、入り過ぎ。 何処へ行っても同じような事をなぞるだけで核心へと届いていない。

なら、やめれば?

そうも出来ない事情があったりするのは、環境がさらに悪化してきてるからだ。
自然環境も自転車環境もよろしくない。

いまのうちに出来ることはやっておこうと行動する。
因果関係があれば自転車以外でも そこへも向かう。
それは、自転車環境を良くするためには、多くの協力者が必要だからだ。
仕事や利益だけで動いてる奴らには解らないだろう。

もう少しで自転車から釈放される12月になった。
残すところ、さいたま国際マラソン と 乗れない人のための自転車教室。

会議や打ち合わせも点々と存在する。

10月のワークショップは第二弾もあり、
大宮地区は、サイクリングマップは「日々進化する」を提案。
1月早々には、どうなるかを発表されるらしい。
Jcomさんから取材を受けたのもこの頃。
朝練でいろいろとクリテリウム

その後、
ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム









体験走行先導、ブース出展、藤田良平 選手 タイムトライアル個人優勝。



彼はバルセロナオリンピック選手の藤田晃三氏、ご子息様で良い選手だ。
応援にも力が入ったが、ブースで一人留守番をしていたので、彼を走りは観ていない。
なので #藤田包囲網 なる企画を立て、一般から画像を集め、
トップページに良い画を記載する。
凄く遅いが今頃になり完成しそうだ。
ひとり 黙々と画像を観て 楽しんでいた。


そんなタイミングで、人生初のクリテリウム観戦に「花あかり」さんが来ていたのだが、
ブースにも立ち寄ってくれた。
先導の時にはコース脇で声をかけてくれて、いつもと違う雰囲気でのご挨拶は不思議な感覚だった。

後日談で、当日の事を とても楽しい凄いイベント と言っていた。




埼玉ハーフ、国際マラソン打合せ、桜環境サクラエコフェスタ2018。と続いた。
埼玉ハーフは流石に疲れて欠席した。勿体ない。
当日はカリスマ氏、ジャンボ氏、カリスマⅡ世、が北コースを3時間半を切って走ったようだ。

このところダラダラ感がつづいたハーフとフルだったから大変喜んでいた。

国際マラソン打合せは、いつもの与野で行われた、
大まかな流れは解っているが、冒頭で川内選手のビデオメッセージ等も出て、所狭しと人で埋まった会場は熱気にあふれていた。
協会がらみでの打合せだが、俺にも勝負事と目論見がある。



すでに、来年の自転車イベントは始まっているの。



そして、サクラエコフェスタ2018
大したことは出来なかったが(会場見取り図入手が寸前だったため)
当日には
ちのあゆ氏が手伝いに入り、ゴアサ氏が スガ氏を引き連れ会場に遊びに顔を出し、
もっとも、スガ氏の場合は、社長目当てだったようだが、
ゴアサ氏が楽しそうにロード体験する子供達を見守りながら指導していたのが印象的で、
後々スガ氏も良い行事をしています。的文章を送ってきている。

ここの本当の目的は、
地球温暖化による南の島が海に沈む、だけではなく、
現在、日本でも厳島神社が餌食となりかけて伝統と文化が海面下に消えようとしている。

守らなければならないのは、自転車で営業と宣伝ではなく



CO2削減のための環境を取り戻すための 自転車 と言うことだ。
どんなに数字を並べようが、画像を並べようが、殆どの日本人は解っていない。
解っていないなら、理屈はいいからCO2を抑えなければならないから

自転車に乗れ!
そこへ「賛成」の手を挙げたのが ホダカ社。
子供用の自転車を提供してくださって、子供達が楽しそうにNESTO(#NESTO)に乗っている姿を画像で閲覧して、
大変関心を示されていらっしゃった。





こう言う背景なのだ。
のんびりとカメラを持って「何がいるかなぁ?」と眺めていられなくなる状況は、
田んぼに行けば解る。


桜スポレクで自転車ゲーム サイクルゲーム。
昨年同様のサイクルイベント、隣ではカンフー大将と大期少佐がバイクロアに出場。
カンフー大将惜しい4位だった。

ゲームの最中には、カナ氏、よっぱらい氏、カンフー大将、少佐、ジャンボ氏等々、
集まってくれればみんなAMBCO仲間絡みだ。




さいたま国際マラソン立哨
クラブよりジャンボ氏、Ari氏、オーバルと北浦和駅そばでコース管理。
風があり、陽射しがなく、昼に入った吉野家の暖かさに感謝した。
それほど、寒かった。
帰路は三人で久しぶりに飲んで飲んで身体を温める。




そして、やっと、乗れない人のための自転車教室。
20名の参加枠は受付初日でいっぱいになった。
そして当日 子供から大人まで、全員が乗れるように。



はじめて乗れたときの不安げな表情から嬉しい表情へと変化する子供達の顔、
遠くで見守るご両親の顔。 ともに、つられて 教える側も嬉しくなる。



物見山の帰り道に、ジャンボ氏が顔を出す。
寒い空の下、ありがたい。

画像:シゲ、和田、イニシャルD、オーバル
 
2018年12月18日  



 魔の10月にならなければ良いのだが。
忙しかったのか、それとも普通だったのか。
それすら忘れているのだ。

前記後の三連休第一回目、
サイタマサイクルプロジェクト所属の藤田涼平選手がRoad to さいたまクリテリウムのタイムトライアルで優勝をして、
11月4日 さいたまクリテリウムタイムトライアルに出場することになった。

さいたまクリテリウム初年の忘年会、小室選手と同席になり、そこから金田選手とも高石杯で出会い、
メディカルやまちゃんと4人でお茶をしたファミレスでの世間話から、
「なんでさいたま市のチーム無くなっちゃんだよ。」「さいたま市にチーム欲しいよね。」から
サイタマサイクルプロジェクトが始まった。
いろんな人が出たり入ったり、、、、、。
そして、タイムトライアルではあるが、出場権を得た藤田選手がチームジャージを着て激走する。
少しだけ夢が叶った。
本戦では勝敗ではなく、光る走りをして欲しい。
観客を魅了する走りをして欲しい。
彼の父は元オリンピック選手。
2020年の東京オリンピックの切符をどうにか掴んで欲しい。

頑張れ! 藤田!



この日はエンデューロもあって、雨の中 カンフー親子が3位になった。
カンフーママ、カンフータケルの凸凹コンビ(失礼)
カンフーママが全力で走っている時、コース上にルイ大佐武官氏が一緒に走っていた。
いや、どうみても大佐武官はカンフーママに何処かで追い付き、引いていたようだ。
ルイ大佐親子も4位に食い込んだ。
来年あるなら、カンフー親子と一緒に表彰台に上がって欲しい。
いや、きっと上がれる。
頑張れ!カンフー親子!!ルイ大佐親子!!


何故ここに自分が居たかと言えば、サポートライダーと言うか修理担当班。
イニシャルD氏らのさいくり広報部も来ていた。
メンバーからは チーフアンビコ顧問、Ari氏、Okkei氏、オーバル。
かな?


撮影:大王WADA氏

もう俺は走ることが辛くて仕方なかった。
来年の今頃、どうなっているかな。

ここしかない翌日、行こう行こうと思っていた翌日、Okkei氏と富士へ試走に向かった。
コース設定は自分、ライン上では大丈夫だろうと思っていたのだが、最後の折り返しが辛くて急遽短いコースを設定した。

その翌週、やっと、土曜日仕事のカリスマ氏を含め20名が富士に居る。
クラブでははじめてのクラブラン南下だ。
 

道の駅高原を起点にして、河口湖まで登り、裏街道を使って下ってくる。
飯は試走の時にお世話になった、朝霧牛乳。

晴天だったのに、富士山だけが顔を出さない。
悔しいな。
コースをもう少し弄って来年また行きたい。

その翌週、町作りサイクリングマップワークショップ(さいたま市)
翌日の朝練。


この頃に、明日までに出してくれ。とSCAから連絡が入る。
あれとこれのメンバーを欲しい。だって。
あれは、去年と同じメンバー、これは、いい迷惑で余計なメールを出すから選択しずらい。

ひねり出す。


その翌週 きたもとスポーツフェスティバル。
毎年恒例行事になって、サイプロの定番イベントにして、とても重要なイベントに、
積極的女子メンバー3名含む12名が会場子供達を遊ぶ。


その中にはジャンボ氏やマッチョ氏も居る。
とてもありがたい。

この日を最終として、4回つづいた3連休が終わった。

そして、その翌週
ワークショップさいたま市
みんなで協力して マップ作製。
チーフアンビコ氏、Okkei氏、オーバルが入る。



まだこれからつづく。
休めないな。この時期。
さいたまクリテのフェスタの企画もあるし、今までの企画も終わっての反省点を見出しがあるし。

でも、昨年みたいに寝てる時間が無い訳じゃないけど、無いか。。。
まだいい方かも知れないな。




 
 2018年10月14日 



 熱い夏中
梅雨に突入したのかと思いきや、新記録の梅雨明け後、熱波が続く夏が6月から続いています。
勢力は衰えることを知らず、盆休みまでに暑さでヘロヘロの状態です。

それでも、通勤は続き、イベントはあり、暑いんだけど最低気温に近い朝練もありました。

でもね。大雨になったのが9月最初の センチュリーラン笠間2018
当初4人で行くはずが、前日連絡でお一人様欠席。
カリスマ氏、ジャンボ氏、オーバルの3名で現地へバビューンと飛んで行き。
受付けも済ませ、さて、となった時に雨が降り出し、スタートした後には段々と強くなり、
何回走っても苦手なコース部分で遅れ、第一チェックポイントでやっと雨が上がり。
曇で折り返してきて、第二チェックポイントはハーフ切り替えで終了。
なんだか年齢を感じる体力の無さ。
このまま、年老いて行くんだなと実感しました。






コガネー氏が、九州の御両親のところへ帰る事になり、最後のAMBCO朝練出席。



マッチョ氏が腰の手術で入院をし、そして隊員をし、
コッソリ自転車で練習をして。



8月頭には 秩父山岳サイクリング。
蟹みそカオスのクライマー、早川氏もお誘いして参加しましたが、
山でも暑い秩父地方、とんでもない暑さを言い訳に、
周りには「大丈夫だよ」と言いながら、ひっそりとショートカットで天然湧水で身体を冷やし、誤魔化して。






カンフーママ号が暑さに負けてエンコして。



あまりに放置すると、記憶はいい加減となります。が、頑張って書きましょう。
自転車あそびは、鬼ごっこが好評です。




もう少し回数を増やしたいのです、暑くて・・・・。
それでも子供は天才、ほったらかしとくと次々と遊びを生み出す。



暑いなぁと言う時に、あった大田原ホープクリテリウム。
順位こそ振るわなかったもの、なんせ良い走りをしたカンフータケル大将。


新しく毎週頑張って起きて朝練に来ているお二人は
棟梁親方氏とハムちゃん氏



大田原クリテの同日
神宮へ飛んでいくと
Lapierreの発表会。
そのイベントに 自分のXelius400FDJも登場。
歴史のモデルとして展示までして頂いた。
日本で未販売にして唯一の一台のTTマシンまで登場して、いや、凄かった。









例年のモデルになるAIRCODE SL Ultimate
これでカラーが現状トレードマーク付きなら、買うかも知れない。



AMBCOは今年27年目を終了して28年目(27年)になりました。
天候が良くなかったのですが、オヤジさんとこの隣で 時間のある人達で飲みました。
30年目には、AMBCOらしい事をやりたいと思っています。

これからもクラブを宜しくお願い致します。


画像:ジャンボ氏、タジ氏、Okkei氏、カンフーママ氏、オーバル。
 
 2018年9月3日 




 梅雨に突入した。

毎度の霞ヶ浦一周サイクリング。
これが過ぎると梅雨入りする関東地方。首都圏があるのに関東地方とは失礼な。
首都圏以外を言うのか? へりくつオヤジとか言われる語録。

その前に、埼玉県サイクリング協会主催
埼玉センチュリー スタート指扇ファインモータース
集合しやすい場所にして、嫌な上尾近辺を最初に通ってしまうので、気楽になったような気がするコースとなった。
途中チェックポイントには、魔のイチゴの里よしみが存在する。
これだけで、「一生懸命フルを走るよりハーフで走ってイチゴを楽しむ。」に気持ちが切り替わる。

その前日に仰せつかったのはコースの案内板貼り。
それをOkkei氏と二人で移動しながらやっつけていって、当然 いちごの里よしみ 試食で食べる食べる。
これが、本番の時に生かされ。

フル組のジャンボ氏、アリ氏、マモ氏を現場で見送り、
ハーフ組 とよさん氏、Okkei氏、ママジャンボ氏、オーバルでのんびり走ってイチゴに引っかかる。

当然時間計測をしているのだが、そんなことはお構いなし。
時間内に帰れないのを覚悟でゆっくり堪能して、時間オーバーでゴールする。
フル組ももちろん、同じパターンで、見事に全員失格でゴールするが、楽しんだ。
これを切っ掛けに グルメランを企画するのだそうで、楽しみである。

その翌週
なんと、「田植えしませんか?」といつもの理科者さんに誘われ。
とうとう田植えすることになった。人生初! こんなに嬉しい事はない。
 



それをまた仕事の合間を縫って撮影に足を運んでくれたOkkei氏に感謝だ。

その翌週辺りに霞ヶ浦一周サイクリング。
この日はダメですよ。と三月に伝えていたのだが、県レクリエーションのメンバーに入れられていて、バッティング。
鷲津顧問が代理で仕事を休んで行ってくれた。
無理にでも出させたい何かがあったのかな。
同日に 理解者さんとこは子供達に田植え体験。撮影してあげたかったのだが、、、。
スバルマクレー氏が撮影しに行ってたようなので、データーを頂ければ、差し上げたい。



ど、やっとこさ、霞ヶ浦一周サイクリング。
は、このメンバー。
スタートして10km程のところで、左旋回の段差で転びました。
と言う 自分より年配の方が、田んぼの畦道で真横に寝ていて、行かないわけにはいかなかった。
早々、AMBCOの群から離脱、それにジャンボ氏が付き合い。
体全部を手で触り、外傷を手当して来年の楽しみの為にリタイアを薦める。
尚且つ頭部をヘルメット越しに打っている事から、帰れるなら、自宅近くの病院でMRIで脳の検査を勧めた。
1~2か月後には再検査をするようにも勧めた。

来年、いっしょに走れたら良いなと思う。

処置後ジャンボ氏に引っ張られてながら進行すること20km弱
とよさんがパンクしているのを発見すると、「私が直しましょう。」と率先してパンク修理をする。
そして、行きましょう~~。 と先頭になって適度な速度で引っ張ってくれる。

サイクリングで何処へ行っても頼もしく思われるだろうな。成長したなぁ。
感無量だ。
大きな収穫はジャンボ氏の成長ぶりだった。

翌週、那須塩原クリテリウム。
撮影と応援。
サイクルプロジェクトはE1、スタート直後の4人での逃げが決まって、最終的に第一集団も本来なら脚きり、
となるタイム差まで広げられ、どうしようもなく、終わる。
飛び出せなかった見極めは難しい。


カンフー君のホープクリテ2戦目。
がみらす艦隊対ヤマトかよと思う程、ブリッツェンステラだらけの完全アウェアイ状態。



飛び出し10位くらいでコマを進めていたが、自分から見えない場所で、他の選手に被せられ、
エマージェンシーブレーキの結果、落車。
しかし、その後必死に追い上げて、11位で終了する。


肘と脚の痛みを確認しながら大切なAMBCOジャージが破れていなか気付かう姿が写っていた。
次、大田原。頑張れよ。

彼方此方の遠征に行ってる先で、勝ち急ぐなと言われているらしいが、
ホープクリテは小学校6年生まで。
最高学年になったとき、負けたら、それは同学年以下、下の学年のライダーに負けたことになる。
子供のころの学年のプライドは学校に戻ってからクラスの中でも響いてくる。
大人が勝手に思うよりも、学年のプライドは重く大きい。

勝つんだ。 なにがなんでも勝つんだ。 


その翌日、テンションが下がりきっているカンフー君だろうと見越して、タジジュニア氏が朝練に登場した。
憧れの兄貴登場にテンションは一気に最高潮へ。
子分のマッチョ氏も参戦して、脚の痛みなどどこへやら。


 
 2018年6月26日  



 「 5月連休も終わりました。 」
前回記事より1ヵ月
ロード通勤16年目を終えて17年目に入ったのが4月18日(基準の日)
余りに遠い出来事だなぁ。
雨のRA通勤で区切りをつけてたんだな。
何か記念ごとがあると いつも黄色い合羽姿の自分が写っている。

ざっと概算で通勤トータル156000kmほど。
あそびも入れると、182000kmとか・・・(エクセル集計による)。
今年から無理をしないと通勤では特別ウェザー以外は車に切り替えたりもする。
ただ、やっぱり、通勤をしっかりしないと体力が落ちて行く。
それを確認出来るのはAMBCO朝練。
2周目等みんなに付いて行けず、本当に可哀想だと自分で思う。

そして、タカミンが結婚して及ばれとなった。

武田レッグウェアー社長もいらしていて、マリオ会長、サイクルプロジェクト社長、
コガネー、みっちゃんと 同席の一番良い席だったんじゃないかな?
カリスマ氏から「糖尿だからさぁ。」と言われているので車で会場入り、
アルコールは飲まなくても楽しい素敵な式と披露宴だった。

それと、4月頭の39さんきゅー参道、出展
あゆみ選手がお手伝いに来て、ビー玉参道ゲームをサポート。
裏の田中氏、Okkei氏、ネット仲間の方々いろいろ、10円で3回ビー玉を転がして、
参道の模型で境内に入れたか、または、途中にある信号で停止出来たら 景品。
と言う、ゲームを楽しんで行った。


タジ氏、アリ氏、マモ氏も開店早々に来て、10円払って通過成功して、
一番良い景品を持ち帰る。
「 相変わらず空気読めない奴だ。 」と俺以外の誰かが言った。
「 そのとおりだ 」と思う。


氷川参道での交通ルールをミニチュア模型で学ぼう 的 に企画したのだが、
スッカリ ビー玉ゲームに変り、サイクルプロジェクト初の売り上げはバッヂ2ケロ(1000円)と合わせて
2000円弱。

カンフー姉、ママ、タケル親子にマリオ会長とその海外の彼女友達。
いろいろた遊んでくれて、来年パワーアップでまた参加する予定だ。

4月22日に 自然公園に使用許可申請を取に行った日
なんとさいたま市にメールがクレームが入ったらしい。
集団走行の自転車に怖い思いをさせられた人、からだ。
この話は公園事務所にゴールデンウィーク後に入り、AMBクラブOHmaki事務局
つまり、俺のところに連絡が入る。
時間帯が解らない事、自身朝練の集団から遅れていたこと、ウェアラブルカメラには1回走行
あやしい事は無かったこと。
等を含め、AMBCOではないな、と解っているのだが、絶対と言い切れないので
通達を出した。
「 このところ、ルールとマナーが疎かになっているので心の帯を締め直して走りましょう。」
いろいろあるが、この通達の2日後には サイスポの取材が入る 良いタイミングだった。

ゴールデンウィーク 初日
サイプロ群馬クリテの様子を撮影に飛ぶ。(車だと箱根より遠い)
 
画像:俺と川島

サプライヤーの方で画像提供を多く求められているので相当数を撮影する。

そして、一旦帰宅して着替えて荷物を入れ替えて、ツインリンクもてぎへと飛んだ。
自分の4輪イベント ストリートシュートアウト 参戦
この日は集計データーが飛んだかなんだか、2位通過とインフォメーションされ、
飯食って記録票を確認すると5位に変更され、
「んじゃグランドスタンドから観るか。」と新設第一ターンのビップ席へ入り、もう少しだなと待っていたら
「クイック4変更お知らせです。ルネサンスゼロ オーバル選手、クイック4に進出となりました。大至急コースへ」
とアナウンスが偶然聞こえた。
「 ぎょえ~~~!! 」
55才になって初めてのたらふく食ったカツカレーの体重増減状態で猛ダッシュ!!
どうにかコースパレットを流星号を乗せることが出来た。

その後は、どこかで書くわ。
宿泊して、やっと今年最初のノンビリに突入した。

そして中型免許限定を解除。
等あり、今年最初の 自転車あそび 

の前に。
「ディレーラーハンガーが折れてしまいました。どうしよぉ~~。」
成田へ武者修行中のカンフー君のMuur号
カンフーママの事情を聞き、その場ですぐに某ネット通販サイトからエマを取り寄せ。
翌日装着して朝練を走れる状態したものの、納得出来ず画像の見た目でハンガーを取寄せ。

朝練後、自転車あそびを堪能して、オヤジさんとこへ
マッチョゴツゴツ氏、Okkei氏も心配で向かった。
それは、翌週に宇都宮クリテリウムにカンフー君が出るからだ。
Muurのハンガーは特別で市販されていないから どうかと思ったが、
「こっちなら少し加工する程度で行ける。」

オヤジさんの声に、ママ感激、以下全員大喜び。
安心した。
良かった、これで思い切り走れるよ。



 

「 今後はね、毎週走ろうと思ってるよ。 出るよ。 」

5月6日 朝練からオヤジさん登場

長老、オヤジさん、スーパーサイヤ人氏、カンフータケル、カンフーママ、ジャンボ氏、ママジャンボ氏
Okkei氏、アリ氏、R氏、岩石氏、タジ氏、監督父氏、Higa氏、マッチョ氏、ツッチー氏、シャア氏、オーバル。
とても良い天気での朝練だった。


その翌週
宇都宮ホープクリテリウム
小学校4年生から6年生に出場資格が与えられている。
700Cが多い中Muurの24インチで何処まで戦えるのか。
3km2周でスタートする。
1周目が終わると第3グループエンドで粘っていたカンフー君。
2周目裏ストレートで、次々と順位を上げ、ゴール前最終コーナーに姿を現したのは
なんと、第2グループのエンドだった。
そこから全開のペダリングが600mm望遠一眼から小さく確認出来る。
そしてさらに順位をアップしてゴールした。
目の前を通過するとき「カンフー良くやった!」と声を掛ける。
戻ってくるの同じタイミングでママが興奮している「凄かったですね!良くやったよ!」
「 カッコ良かった!凄かったねタケル君! 」
まったくそのとおり。

 
しかし、本人は悔しい思いが出ていた。
俺が向かい入れても微動だにせず、背中を向けると腕で目を拭くしぐさも。


上出来きなレースだったのだが、金田さんにも立派だったと報告出来るレースだったが、
これからもっと強くなる決意があったろうな。
このスタート5分前
ゆーいち氏が「遥か遠くからFDJジャージは目立ちます。」と声をかけてくれて、
「あなたデザインのAMBCOジャージが走るよ。」と伝えると
何か嬉しそうな。
「 移動しながらレース観てますね。」
と走り出した子供達に声援をかけていた。


サイプロはTacke店長、E2武田氏が激戦を制し、優勝した。

カンフー君がこのゴールポーズを取る時、AMBCOジャージを着ているだろうか。


その翌日
やっと書いてる日と日記の日が近づいてきた。5月13日

YouTube

朝練は 総勢29名が出席
クラブ始まって以来の大所帯となった原因は「サイクルスポーツが取材に来ますよぉ。」
だったかも。または。
「ハエタタキ鬼ごっこやりますよ~」 だったかも。

 
シャア氏より紹介して頂いたOHYaH!! ご夫妻。
サイスポの記事と編集(だったかな?) 子供達をメインに。
取材が始まる前に、朝練参加です。
俺は公園からの合流になりました。
さて、参加メンバー
集計リスト順に
マリオ会長、オヤジさん、チーフアンビコ顧問、スーパーサイヤ人氏、カンフーママ、カンフー氏、
カリスマ氏、カリスマ2号氏、ジャンボ氏、ママジャンボ氏、Okkei氏、アリ氏、R氏、マモ氏、
タジ氏、岩石氏、監督父氏、Higa氏、ペルシュロン氏、ルイ大佐、大佐武官氏、マッチョ氏、コガネー氏、
ツッチー氏、大希少佐、シャア氏、OHYaH!!氏、OHYah! 氏、オーバル。

そう久しぶりに、2002年ころのサイクルフェスタの時以来でカリスマ2号氏と会ったのだ。
そして、ツッチーがまさか東浦和に住んでいて、まさか大希少佐と自走で公園まで来るとは思ってもいなかった。

走行終了をして戻ってくると
カンフーママが市のイベント事務局担当でゆっくりしていられないとの事で 早々子供達に取材が始まる。

その前に準備していた長い一本橋スーパーは準備してあって
全長30mのひねくれた一本橋を脱輪せずに走れるかのトライが皆始まっていた。
これ、腹筋に効くよ。

さらに取材はAMBCO役員に。
マリオ会長、技術顧問、元部長現顧問、部長
と取材を受ける。
間が持たない他の人は、ハエタタキを持って軽く鬼ごっこ。
これを後日知ったデゴイチシュー氏は「僕もやりたいんですが!!仕事で参加出来ません!!」
とネット上で雄叫びをあげていた。一度やると忘れられない ハエタタキ鬼ごっこ。
子供3人を相手に入れ替わりでジャンボ氏、Okkei氏が遊びだす。
マッチョ氏はカンフーの子分らしく、フル出場。
命令されると嬉しいのだそうだ。

2クールくらい行ったのかな?
取材を受けながらなので、時間が良くわかない。


又聞きなのだが、誰かが言ってたそうだ。
今のAMBCOはお金払って参加してくる変なスクールより余程イベント力があるのではないか?
どことな~くゆるく、なんとな~く気楽、それでいて遊べて、楽しめて。
みんな来ればいいのに。
そんなことを言っていたそうだ。
大人から子供まで、少年少女の心で居られるのかも知れない。


な~~んてね。

 
2018年5月14日  



 「 GranRacerとRA-900が来た日 」
2003年4月6日
GranRacerが来た。
もう15年付き合っているんだな。いつも新鮮であって、尚且つ一番自分に馴染んでいる。
相変わらず機嫌が良い時には「ヒュー」とフォークが鳴く。
走行距離数は不明だが多分90000km前後か?
こんな記録を取り続ける事になるのなら、最初からコンピューターはロード一台ひとつとすれば良かったな。
RAやLeMansと共通で使っていたのは失敗だった。




RA900はこのところ調子が悪い。
2回に一回は出動すればパンクする。
それもダニに食われたような2か所開きの穴がある。
タッカーの葉でもばら撒かれてる場所が何処かにあるのか・・・。
2008年からの10年の付き合いになる。

こう言ってはなんだが、、、
40歳の時Granを45才の時にRAを購入して 喜んでたのだ。
まだまだガキンチョと言うことだ。

 
2018年4月6日 



 2018年 春 さいたま市体育賞受賞 等 二カ月分
 
いきなり清水隼人市長の画像で久しぶりの更新が始まりました。



 
このような賞を受賞しましたが、この後に「終わったら西来るフェスタに来てください。」
と言うことで着替える場所もないのでいつもの格好で表彰式に臨んだんですが、
「その右手は何だ?」となるのは当然で、前日に怪我をして、ベロンと肉が剥げたので、
車の中にあったウェットティッシュとガムテープで痛くないように戻し、
帰宅後に包帯を巻いたのでした。
なのでブレーキが不自由で中指は結構なフェザータッチをコントロールするのだと認識しました。

SNSで知り合ったクリテ立役者的T氏が こんな表現をしていましたわ。
「 いつもいつも率先して貧乏くじを引く、火中の栗を拾いながら黒子に回ってサイクルスポーツの振興に努めてきたオーバル氏が
ついに体育賞功労賞として表に引っ張り出される。」
随分と目立った黒子もあるものだなと思っているんだろうかなぁ。。。


下の画像はタンデム車と言う二人乗り自転車です。
二人乗りは公道を走ることは許されてませんが、画像は広い公園の敷地内、
速度を出さずに走っているのですが、珍しくゆるい規制の公園です。



熊谷スポーツフェスで盲目の人を乗せて走ることを以前したのですが、
自然豊かな空気の良い景色の良い春かおる見沼田んぼを走ってみたい、
そう願っています。
みんなに自転車を楽しむ権利があるのでそうしたい。
これは3に入ってからのことです。

その下
父が亡くなっ週末の土日のサイクルエキスポです。
自分も行くことになっていたので参戦です。
ポタガールりえさんと珍しく撮影などをしていますが、2人して仕事してるよ~の証拠写真。



AMBCOの撮影をしたのは3月25日のこと。
ソメイヨシノが咲き出したので、翌週の天気に保証は無い、予備撮影です。
Ari氏、カンフー氏、Higa氏、カンフーママ氏、スーパーサイヤ人氏、ジャンボ氏、Okkei氏

毎年、思うのは サクラをバックに撮影をするのは難しいと言うこと、
Okkei氏、カンフーママ氏のランデブーの画像もそうですが、全然冬の感じの桜並木に写っていますが、これで三分咲き強です。

何より楽しそうな表情が撮れるのは撮影側としても嬉しい事です。


下の画像は
表彰式のあと、健保グランドに入った西来るフェスタです。
式と重なっていなければ、自分とOkkei氏が朝からコース管理に入っていたのですが、
ジャンボ氏、Ari氏、マモ氏、ジャンボ氏友人3名が担当を朝からしてくれました。
ジャンボ氏はこの日の翌日から海外出張・・・・。 ありがとうございます。



2月初旬の晴天
山下公園にほど近い結婚式場で行われたのは、神奈川県サイクリング協会60周年記念式典です。
及ばれされるのは他県の協会も同じです。
あちこちの県といろいろなお話をして顔つなぎと貴重な情報を持ちかえりました。




下の画像は
1月後半でしたか、どっさり降った積雪の朝練です。
これが、「誰も来なければ良いのになぁ」と思いつつ、オヤジさんとこ前に行くと、
時間になってAri氏、Higa氏、ジャンボ氏、ママジャンボ氏と集合してしまったので、
みんな頑張って走ることになりました。



その雪がどんなのだったかと言えば、走っているとキャリパーに雪が入り込みブレーキが作動しない状態になるほど、

画像は積雪と降雪でなんだか解らなくなったけど、回るリアホイールとスプロケットです。

流石のアクロリストの自分でも急激な降雪と積雪にはRA-900も対応できず、自宅から3kmの所まで戻ってきて
自走不能になり押して歩いて帰宅するほどの雪でした。


 2018年3月25日 




 「 2018年始まる 」

大晦日に朝練があって、翌日には初日の出があった(Kazubo氏、鬼軍曹氏、Ari氏、岩石氏、R氏)AMBCOの忙しさ。

(マリオ会長、スーパーサイヤ人氏、鬼軍曹氏、カンフーママ、カンフー君、
Ari氏、R氏、タジ氏、タジJ氏、シャア氏、メディカル氏、オーバル)
大晦日の前には、三十日にクラブ忘年会。

なので、時間に余裕があるように思えたのだが、そうではなかった正月休み。
すでにご存じであろう サイクルショップ大牧は、駅前通り商店街の方へ引っ越したのである。
突然決まり、その対応に、お世話になっている人達が思いを込めて、動き出した。
「俺がやるよ。引越し屋やってんだよ。声かけてみるよ。」
これが数日前。 そして、29日と30日とで皆でその殆どを運び出してしまう。
新規店舗の正式な契約が24日前後だったので、速度をもってやっつけたのだった。

いろいろの〆の2017年をオヤジさんとこの手伝いで終われると言うのはなんだか幸せな事だ。
当然、家のことは何もしないので怒られるが、大掃除をしなければ新年が来ないわけでもない。
日頃から掃除していれば大掃除は必要はない。
大晦日に大掃除をしなくて新年が来ないのであれば、お盆に大掃除をしなければ、ご先祖に怒られだろう。

2018年に入り。
朝練を順調にこなし、サイプロの新年会を行い。
サイクリング協会の新春サイクリングで2年振りに自民党副幹事長村井秀樹会長と会い。

相棒が人生初のインフルエンザになり、RA900の700cホイールが1/3埋まるほどの大雪が降り、

そして、
カンフーママとカンフー君が、交差点での信号待ち中、真正面から4tトラックに突っ込まれてから1年になる。

2人ともトラウマになることもなく、今も元気で過ごし朝練にも確り出て一生懸命走っているが。
今改めてこの画像をみると、肋骨が折れてた程度で済んで良かったよ。
カンフー君は今年の朝練の時に急に強くなり、成長を見せている。
勝負ごとに脚を踏み入れたからこその宿命は忍耐と努力。
近道等ない。
今年こそ、表彰台をそして初優勝を取れるだろうか。

金田ボディトーキング

金田先生のお蔭で的確な成長が見える。

そして、AMBCO25周年記念ジャージの再販がAri氏のお蔭で完成した。
要望の多かった長袖ジャージも搭乗した。

冬の見沼田んぼにも合う良い柄だ。


今年も一年、カンフー君の成長を見守りながらも、たのしい嬉しい知らせの多いクラブであれ。

 
2018年1月26日  

AX

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